元力士でユーチューバーで俳優でもある富栄ドラムさん!
2023年7月に放送されたTBS日曜劇場「VIVANT(ヴィヴァン)」に『ドラム』役で出演し大ブレークしました!
富栄ドラムさんが相撲に興味を持ったのは中学3年の頃だったようですが相撲で有名な中学校だったのか、小学校から相撲が身近なスポーツだったのか、出身校や相撲へのきっかけなど気になります。
また現在は力士を引退しYouTuberや俳優として活躍されていますが新たな道へ進んだ理由は何だったのでしょうか。
今回は富栄ドラムさんの出身中学校や相撲から俳優までの経歴について調べてみたいと思います!
【画像】富栄ドラムの中学はどこ?
中学校は神戸市立雲雀丘中学校!
富栄ドラムさんの出身中学は神戸市立雲雀丘中学校(兵庫県神戸市長田区雲雀ケ丘1-1-1)です!
どのような学校が調べてみたところ、入学した子供を持つ保護者より
「1人ひとりを大切にしてくれる学校」
「自然が多く景色がいい中学校」
などの口コミがありました。
保護者 / 2016年入学
1人ひとりを大切にしてくれる学校です。
学校行事に力を入れています。
特に体育祭や合唱コンクールなど クラス一丸となり 頑張っています。
先生方も親身に 相談に乗ってくださいます。 厳しく優しく 生徒のやる気を引き出そうと 努力してくれる学校です。
保護者 / 2018年入学
とても熱くて、思いやりがあり、暖かい学校
全体的に先生も熱心な先生が多く、生徒一人一人のことをきちんと考えてくれて、学校全体に一体感とまとまりが感じられます。
先生が生徒一人一人に向き合っているとのコメントもあり、伸び伸びと学校生活を送れそうな雰囲気ですね!
有名な方を輩出されている中学校だったのですね!
富栄ドラムさんもユーチューバーや俳優として活躍している有名な人として在校生に知られる存在となっていることでしょう。
小学校は神戸市立丸山ひばり小学校!
富栄ドラムさんの小学校については出身校が明らかとなっていない為に独自で調べてみました。
その結果、神戸市立丸山ひばり小学校(兵庫県神戸市長田区西丸山町3丁目)ではないかと推定します。
理由は富栄ドラムさん卒業の神戸市立雲雀丘中学校の校区を調べたところ、雲雀丘中学校へ進学する小学校は丸山ひばり小学校のみであった為です。
ちなみに、神戸市立丸山ひばり小学校は2016年(平成28年)4月に2つの小学校を統合して開校した学校です。
統合された旧小学校は、「丸山小学校」と「雲雀丘小学校」でした。
その為、富栄ドラムさんが在校していた小学校は「雲雀丘小学校」ではないかと推測します。
旧小学校2は小規模化が進み閉校となりました。
2016年(平成28年)3月1日 丸山小学校の閉校式
2016年(平成28年)3月4日 雲雀丘小学校の閉校式
富栄ドラムさんが小学生卒業の時期は2004年頃で、閉校時よりも生徒数がまだ多かったのかもしれませんね。
小学校時代の親友と現在でも親交がある様子が投稿されていました!
小学校時代の写真、左側が富栄ドラムさんかと思います!
小学校時代の友と現在も仲の良い富栄ドラムさん、小学校時代の思い出がたくさんありそうですね!
これからも小学校の思い出話を教えて欲しいです!
中学3年で相撲に興味を持った!
富栄ドラムさんは中学1年の頃に柔道を始めており、最初から相撲に興味があったわけではなかったようです。
中学校当時に神戸市中学校新人柔道大会71キロ級と66キロ級でどちらも優勝しており、柔道での実力も充分にあったようです。
中学3年の時に神戸市の相撲大会に未経験ながら借り出されたことが相撲に興味を持ったきっかけだったそうです。
中1で柔道を始め、転機は中3の時だった。
スポニチ
神戸市の相撲大会に借り出された。
「校長先生が寿司をおなかいっぱい食べさせてくれると言うので」。
未経験ながら2位になり、会場で見ていた伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)にスカウトされた。
「頑張っただけ成功できる世界。夢があると思った」と入門を決めた。
もしも校長先生が寿司を奢ってくれなかったら相撲大会に出てくれなかったかもしれません!
相撲未経験ながら2位になるとは、会場でスカウトした伊勢ケ浜親方は富栄ドラムさんの素質を見抜いたのでしょうね!
負けん気が並外れの力士!
中学卒業後に大相撲の世界へ入った富栄ドラムさん、相撲に専念する為か理由はわかりませんでしたが高校へは進学していないようです。
力士3年目の2010年には中学卒業時より30キロ以上の増量で体重100キロとなり「押す力を付ける稽古」で常に筋肉痛の状態だったそう。
負けん気の強さが分かるエピソードもありました!
負けん気も並外れており、ある記者は「取り組みに負けた日は号泣するあまり取材にならなかった」、
別の記者も「負けると『聞いてこないで』オーラがすごかった」と振り返ります。
時に取材拒否するほど勝負に貪欲(どんよく)だった富栄さんは「家族のために出世したい」という気持ちが強かったといいます。
ある時には「父と母のためにも十両に上がる」と語っており、
記者は「病気と闘う家族のために頑張る、親孝行したい、という思いがひしひしと伝わってきた」と述懐します。一方でマスコミ嫌いだったわけではなく、泣きじゃくって取材に答えられなかった日は、横綱日馬富士の付け人をする合間を見て
gooニュース
「あれからコメント考えたんですけど、今いいですか?」と記者に話しかけ、
「神戸のヒーローになります!」と宣言したこともありました。
きっと取組に負けた時はものすごく悔しくて号泣だったのでしょうね。
聞かないでオーラ全開で取材拒否の富栄ドラムさん、記者の思い出にも残るエピソードですから印象に残る力士だったようです。
負けん気が強い富栄ドラムさんは勝負を全力で頑張る人で、応援したくなる力士さんでした!
姉の為に相撲界入り!
富栄ドラムさんには4歳年上のお姉さんがおり、幼い頃は兄弟共に病弱だったのだそう。
その為お姉さんと富栄ドラムさんは何回も入院していたのだと本人はインタビューで語っています。
幼少期に自身と4歳年上の姉はともに病弱で何回も入院したというが、頭が良く明るい性格のさやかさんは、「社交的じゃなかった」富栄をいつも笑顔にしてくれる存在だった。
スポニチ
富栄ドラムさんにとって、お姉さんは子どもの頃から心の支えだったのですね。
「お姉ちゃんを今度は僕が助ける」という気持ちで富栄ドラムさんは相撲界に入ったのだそうです!
ですが、最愛のお姉さんは富栄ドラムさんが十両昇進まであと少しの活躍をみせていた2018年に病気の為他界されました。
「富栄」のしこ名で08年に15歳で初土俵。
スポニチ
小兵力士ながら最高位は東幕下6枚目で、関取まであと一歩だった。
「僕は本当に心技体で相撲を取る力士だった。
勝ち越せば十両という場所前に、一番応援してくれていた姉が亡くなった。
ショックが大きすぎて」。その後、ケガもあって引退。
お姉さんが亡くなったことが富栄ドラムさんにとっては人生を変える程の大きな出来事だったようです。
「病気の家族の為に頑張る」という支えが亡くなり心の柱が折れたのかもしれません。
ですが失意の富栄ドラムさんを救い上げたのは、亡くなったお姉さんの言葉だったそうです。
3年後、相撲界を引退。
スポニチ
目標を失っても前を向けたのは
「龍太郎(富栄の本名)は将来大物になる」
「龍太郎だったらできる」
というさやかさんの言葉があったからだと明かす。
「次は自分が誰かを笑顔にする」という気持ちでユーチューバーに。
そして今年、福澤克雄監督の目に留まり、「VIVANT」ドラム役に大抜てきされた。
最後に富栄は、天国のさやかさんに「まだまだがんばるで」と決意の言葉を伝えていた。
お姉さんは富栄ドラムさんの心の中でずっと応援してくれているのですね!
富栄ドラムさんが前を向けたきっかけは、お姉さんの金言を心に留めていたからでした。
次の項では力士引退後の富栄ドラムさんについて調べていきます!
富栄ドラム・引退後は俳優で大ブレーク!
引退後も心に残る横綱の言葉!
力士引退後の現在ユーチューバーや役者など新しい道に進んだ富栄ドラムさん。
付き人時代に聞いた元横綱・日馬富士の言葉が心に残っているといいます。
元横綱・日馬富士(39)が関脇から引退するまで、付け人を務めた。
スポニチ
心に残るのは「自分の人生は自分でしか切り開くことはできないよ」という言葉。
…
「相撲では十両に上がれなかったけど、応援してくださった方に違う形で恩返しができたと思います。
横綱に役者になったと伝えたら“凄いな”って。
今はとにかく毎日が楽しい。
人生を懸けて役者を頑張りたい」。
力士引退後は「好きなことを仕事にしよう」とユーチューバーや役者の道に進んだという富栄ドラムさん。
ユーチューブの企画に「力士は車を押せるのか」「相撲ネタ漫才」の他「バック転」など自身の身体能力を使った動画も投稿しています!
120キロでバク転を身軽にこなしている富栄ドラムさん。
身体能力の高さは、ユーチューバーとしてだけではなく俳優の演技にも活かされているようです。
次の項で俳優として活躍中の富栄ドラムさんについても調べてみます!
エキストラオーディションで唯一無二をアピール!
富栄ドラムさんは役者の道も全力で挑戦しており、ドラマ「VIVANT」のエキストラオーディションは「絶対出たい」と強い思いで臨んだそうです。
「落ちてもいいから、自分が唯一無二だとアピールしよう」とバク転などもできる身体能力をアピールする意気込みでオーディションを受けたそうです!
ドラマ「VIVANT」の福澤監督はオーディションで
富栄ドラムさんが“元力士です”って言って、あの体でバック転を見せてくれたときに
“あいつはドラムだ”と思ったそうです。
福澤監督は富栄ドラムさんがこれから役者として食べていけるようにと、撮影中も色々と勉強の機会を与えてくれていたそうです。
福澤監督の富栄ドラムさんを気に掛けている思いが伝わるトークがありました。
ドラムをオーディションで見出した福澤監督は、
「まあまあまあ、いろいろあるんだよ。一気に人気が出るときってあるけど、一気に下がるから」
と、人気絶頂のドラムの気を引き締め
「皆さん応援してあげてください」と呼びかけ。スポニチ
続けてドラムに対し
「役者の勉強を一生懸命して、いっぱい見て、堂々と出られるよな?ほかのドラマとか映画にも」
と期待。
「まずオーディションで、俺が“ポン”っと目を引いた。
そういう神様からもらったものを持っているんだから、練習だよ」
と肩をポンポンと叩くと、ドラムは真剣な表情に切り替え「はい」と力強く返事をした。
富栄ドラムさんはドラマ「VIVANT」撮影前に姓名判断をしたそうで、芸名を富栄竜太郎から富栄ドラムに改名したそう。
何とか選ばれたいと思ったVIVANTへのレギュラー出演が決まり福澤監督につけてもらった『ドラム』を芸名にした富栄ドラムさんは
「人生をかけて感謝の気持ちを忘れず、謙虚に頑張ります」と話しています。
ドラマで共演した堺雅人さん、阿部寛さん、二階堂ふみさんにもお芝居のことを相談させてもらったりと皆さんの優しさのおかげで撮影に取り組めたそうです。
いつも素直で全力に取り組む富栄ドラムさんだから、周りも応援したくなるのではないでしょうか。
今後の出演作にも期待が高まります!
富栄ドラムwikiプロフィール
プロフィール
名前:富栄 ドラム(とみさかえ ドラム)
本名:冨田 龍太郎(とみた りゅうたろう)
生年月日:1992年4月11日
年齢:31歳(2023年12月現在)
出身地:兵庫県神戸市北区
身長:167.9cm
大相撲時代成績
四肢名:冨田 龍太郎→富栄 龍太郎
体重:122.0kg
所属部屋:伊勢ヶ濱部屋
最高位:東幕下6枚目
生涯戦歴:258勝245敗29休(77場所)
初土俵:2008年3月場所
引退:2021年3月場所
引退後:俳優・YouTuberとして活動
YouTubeプロフィール
名前:富栄 ドラム(とみさかえ ドラム)
チャンネル:ブヒブヒパーリー
活動期間:2015年3月7日-
ジャンル:相撲、エンターテイメント
経歴
神戸市立雲雀丘中学校1年生のときに柔道を始め、神戸市の大会で優勝するなどした。
中学3年生のとき校長より
「寿司をおなかいっぱい食べさせてあげる」
と言われたことを受けて神戸市の相撲大会に駆り出され、未経験ながらも2位になった。
この会場で観覧していた9代伊勢ヶ濱にスカウトされ、入門した。
2008年3月場所初土俵。
前相撲と翌5月場所までは本名の冨田で出場、同年7月から四股名を富栄とする。
2015年3月場所、三段目に於いて、入門後15連勝中であった佐藤(のちの貴景勝)に押し出しで勝利し初黒星を付けた。
また、日馬富士の関脇時代から引退に至るまで、その付け人を務めた。
ほかに9代伊勢ヶ浜、安壮富士、安美錦(現8代安治川)、宝富士、照ノ富士らの付け人も務めた。
2018年11月場所では自己最高位の東幕下6枚目まで昇進し その後も幕下30枚目以上で推移していたが、一番応援してくれていたという姉の死によるショックの大きさと怪我により、2020年9月場所から連続で休場、2021年3月場所で引退した。
その後はYouTuberに転身した。
2023年(令和5年)2月、ドラム役で出演が決まっていた『VIVANT』の撮影前に「姓名判断をしたら富栄龍太郎より良かった」として、芸名を役名に因んだ富栄ドラムに改名した。
主な作品
【テレビドラマ】
・信長のスマホ(2023年2月7日 – 2月17日 、NHK総合) – 青地与右衛門 役
・VIVANT(2023年7月16日 – 9月17日、TBS) – ドラム 役
【WEB配信ドラマ】
・
【映画】
・翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜(2023年11月23日、東映)
【ラジオ】
・パンサー向井の#ふらっと(2023年9月26日、TBSラジオ)- 『VIVANT』放送後初めての声出し
・ナイツ ザ・ラジオショー(2023年11月22日、ニッポン放送)
まとめ
今回は富栄ドラムさんの出身中学校や相撲から俳優までの経歴について調べてみました!
富栄ドラムさんの出身中学は神戸市立雲雀丘中学校です。
中学1年の頃に柔道を始めており、神戸市中学校新人柔道大会71キロ級と66キロ級でどちらも優勝するほどの実力でした。
相撲に興味を持つ転機となったのは中学3年に借り出された神戸市の相撲大会で、未経験ながら2位になり会場で見ていた伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)にスカウトされています。
中学卒業後は高校へ進学せず相撲の世界へ。
伊勢ケ濱部屋へ入門し負けん気の強さは人一倍で、取組に負けた日は号泣のあまり取材にならなかったエピソードもあります。
関取まであと一歩の2018年、富栄ドラムさんを側で一番応援してくれていた最愛の姉が病気で他界。
心技体で相撲をとっていた富栄ドラムさんにとってお姉さんの死はショックが大きく、けがもありその後2021年3月に引退。
お姉さんが富栄ドラムさんにいつも贈っていた応援のことば
「龍太郎(富栄の本名)は将来大物になる」
「龍太郎だったらできる」
を心に留め「次は自分が誰かを笑顔にする」と前を向いてユーチューバー・俳優の道へ進む。
YouTubeでは自身の相撲経験や身体能力を活かした動画を投稿しており、120キロでバク転など身軽さをアピール。
俳優では人気ドラマVIVANTで行われたエキストラオーディションに「絶対に受かる」という強い気持ちで唯一無二の自分をアピールし「ドラム」役で出演が決定。
このドラマで俳優として大ブレークし、ドラマVIVANTの福澤監督は富栄ドラムさんが役者として食べていけるようにと撮影中も色々と勉強の機会を与えてくれた。
VIVANT撮影前に姓名判断をしたら「富栄龍太郎より良かった」として、芸名を役名に因んだ富栄ドラムに改名している。
VIVANTへのレギュラー出演が決まり福澤監督につけてもらった『ドラム』を芸名にした富栄ドラムさんは
「人生をかけて感謝の気持ちを忘れず、謙虚に頑張ります」と今後の意気込みを語っています。
これからも富栄ドラムさんのますますのご活躍を期待致します!