声優界のレジェンドとして多くのファンに愛された櫻井智さん。
1987年のデビューから2025年8月に亡くなるまで、アイドル、声優、舞台女優として幅広く活躍されました。
特に90年代は「アイドル声優」の先駆けとして一時代を築き、『マクロス7』のミレーヌ役で不動の人気を獲得。
プライベートでは1999年に中学時代の同級生と結婚し、一児の母としても充実した人生を送られていました。
今回は、そんな櫻井智さんの輝かしい若い頃の姿から、華麗なる経歴、そして気になる結婚生活まで、徹底的に調査してお届けします。
櫻井智の若い頃が美しすぎると話題!デビュー当時の姿を振り返る
櫻井智さんの若い頃は、その美貌と才能で多くのファンを魅了していました。
千葉県出身で四人姉妹の末っ子として生まれた彼女は、実は幼少期は赤面症で内気な性格だったといいます。
しかし、中学3年生の夏に姉と観た少年隊のミュージカル『PLAYZONE’86 MYSTERY』がきっかけで、「舞台に立ちたい」という強い夢を抱くようになりました。
15歳の頃、両親に内緒でオーディション雑誌『月刊デビュー』を見て複数のオーディションに挑戦。
見事全てに合格し、1987年に16歳でアイドルグループとしてデビューすることになります。
デビュー作『レモンエンジェル』時代の初々しい姿

櫻井智さんは1987年、絵本美希さん、島えりかさんと共にアイドルグループ「レモンエンジェル」のメインボーカルとしてデビューしました。こ
のグループは、アニメ『くりいむレモン』から派生した同名アニメとのメディアミックス企画から生まれたもので、代表曲『第一級恋愛罪』などで注目を集めました。
当時はいわゆる「アイドル冬の時代」と呼ばれる時期でしたが、大胆な衣装と振り付けで「カメラ小僧」と呼ばれるファンから熱狂的な支持を受けていました。
16歳という若さでデビューした櫻井智さんは、グループの中でも特に歌唱力が高く、メインボーカルとしての存在感を発揮。
初々しさと同時に、すでにプロとしての意識を持っていたことが当時の映像からも伝わってきます。
個人としての代表曲『たそがれロンリー』では、切ない歌詞を情感豊かに歌い上げ、単なるアイドルではない表現力の高さを見せていました。
90年代の声優黄金期に見せた圧倒的な美貌

1993年に『ドラゴンリーグ』で声優デビューを果たした櫻井智さんは、翌1994年に『マクロス7』のミレーヌ・ジーナス役で大ブレイクを果たしました。
この頃の櫻井智さんは20代前半で、アイドル時代よりもさらに洗練された美しさを放っていました。
赤系統の髪のキャラクターを演じることが多かった彼女ですが、実際の好きな色は白、黄色、水色、ピンクだったというギャップも魅力的でした。
『怪盗セイント・テール』でテレビアニメ初主演を果たした1995年頃は、まさに全盛期。
雑誌のグラビアやイベントでは、その端正な顔立ちと抜群のスタイルで多くのファンを虜にしていました。
当時の写真を見ると、清楚でありながらも華やかさを併せ持つ、まさに「アイドル声優」の理想像を体現していたことがわかります。
声優としての実力と、ビジュアル面での魅力を兼ね備えた稀有な存在として、90年代のアニメ界を代表する女性声優の一人となりました。
ファンが語る若い頃の櫻井智の魅力とエピソード

当時のファンによると、櫻井智さんの最大の魅力は「親しみやすさと美しさの絶妙なバランス」だったといいます。
イベントでは気さくにファンと接し、サイン会では一人一人に丁寧に対応していたことが今でも語り継がれています。
趣味が「裁縫」と「人間ウォッチング」という意外な一面も、ファンにとっては身近に感じられる要素でした。
特に印象的なエピソードとして、朝倉薫演劇団の看板女優として活躍していた頃、全国39か所を回った『若草物語』の公演では、移動の疲れも見せずに毎回全力でパフォーマンスを披露していたことが挙げられます。
また、声優業と並行して舞台活動を続けていた頃は、役作りのために徹底的にキャラクターと向き合う姿勢が共演者からも高く評価されていました。
若い頃から「プロ意識の高さ」と「天性の華」を併せ持っていた櫻井智さんは、まさに時代を代表するマルチタレントだったのです。
櫻井智の華麗なる経歴と結婚の真相に迫る
櫻井智さんの経歴は、アイドルから声優、舞台女優、歌手と実に多彩です。
1987年のデビューから2025年に亡くなるまでの約38年間、常に第一線で活躍し続けました。
特筆すべきは、結婚・出産を経てもなお、声優業界で重要な役割を担い続けたこと。
1999年の結婚は当初公表されていませんでしたが、後にファンの間でも広く知られることとなり、プライベートと仕事を見事に両立させた女性声優の先駆けとなりました。
ここでは、そんな櫻井智さんの輝かしい経歴と、気になる結婚の詳細について深く掘り下げていきます。
声優から歌手まで!多才な経歴を時系列で解説

櫻井智さんの経歴を時系列で振り返ると、まず1987年に「レモンエンジェル」でアイドルデビュー。
1991年にはミュージカル『足ながおじさん』のジュディ役で舞台デビューを果たし、1992年には朝倉薫演劇団に入団して看板女優として活躍しました。
声優としては1993年の『ドラゴンリーグ』が正式なデビュー作となり、翌1994年の『マクロス7』ミレーヌ役で一躍トップ声優の仲間入りを果たします。
1995年の『怪盗セイント・テール』では初主演を務め、作品は舞台化もされて全国30か所で公演。
1996年から1998年にかけては『るろうに剣心』の巻町操役も好評でした。
2000年代に入ってからは一時活動を休止しましたが、2003年に復帰。
2007年からは『ポケットモンスター』シリーズのシロナ役を長年演じ続けました。
2016年に一度引退を発表するも、2019年に復帰を果たし、最期まで声優として活動を続けた櫻井智さん。
その経歴は、まさに日本のエンターテインメント史に刻まれる華麗なものでした。
結婚の噂は本当?お相手や時期について徹底調査

櫻井智さんの結婚については、1999年6月に実際に結婚していたことが確認されています。
お相手は中学時代の同級生で一般会社員の男性でした。
実は二人は中学時代にグループ交際をしていた仲でしたが、高校進学後は別々の道を歩み一度は疎遠に。
しかし20歳の時、地元千葉県市川市の夏祭りで偶然再会し、そこから交際が再スタート。
約9年間の交際期間を経て、ゴールインしました。
結婚当初は、アイドル声優としての立場から結婚の事実を公表していませんでしたが、2001年に結婚が報道されると一時的に人気が落ち込んだとも言われています。
しかし、2000年7月には娘さんも誕生し、幸せな家庭を築いていました。
夫は身長182cmの長身で、少年隊の東山紀之さんに似た端正な顔立ちだったとか。
プライベートを大切にしながらも、家族の支えを受けて声優業を続けた櫻井智さん。
その結婚生活は、多くの女性声優にとっても理想的なロールモデルとなったのではないでしょうか。
櫻井智wikiプロフィール

プロフィール
- 本名:櫻井智(さくらい とも)
- 旧芸名:桜井智
- 生年月日:1971年9月10日
- 没年月日:2025年8月13日(53歳没)
- 出身地:千葉県
- 血液型:AB型
- 身長:158cm
- 最終所属事務所:フェザード
- デビュー:1987年(レモンエンジェル)
- 声優デビュー:1993年(ドラゴンリーグ)
- 家族構成:夫、娘1人
- 趣味:裁縫、人間ウォッチング
- 代表作:マクロス7(ミレーヌ)、怪盗セイント・テール(羽丘芽美)、るろうに剣心(巻町操)、ポケットモンスター(シロナ)
経歴
- 1987年:アイドルグループ「レモンエンジェル」メインボーカルとしてデビュー
- 1991年:ミュージカル『足ながおじさん』で舞台デビュー
- 1992年:朝倉薫演劇団入団、看板女優として活躍
- 1993年:『ドラゴンリーグ』で声優デビュー
- 1994年:『マクロス7』ミレーヌ・ジーナス役で大ブレイク
- 1995年:『怪盗セイント・テール』でテレビアニメ初主演
- 1999年:中学時代の同級生と結婚
- 2000年:長女出産、セミヌード写真集『RIPPLE』発売
- 2003年:声優業復帰
- 2007年〜:『ポケットモンスター』シロナ役
- 2016年:声優業引退を発表
- 2019年:芸能活動復帰を発表
- 2022年:フェザード所属
- 2023年:膵臓がんと診断、余命1年の宣告
- 2025年8月13日:多臓器がんのため逝去
まとめ

櫻井智さんは、1987年に16歳でアイドルグループ「レモンエンジェル」のメインボーカルとしてデビューし、その後声優、舞台女優、歌手として多方面で活躍された稀有な才能の持ち主でした。
特に1994年の『マクロス7』ミレーヌ役での大ブレイクは、「アイドル声優」という新たなジャンルを確立し、90年代のアニメ界に大きな影響を与えました。
プライベートでは、1999年に中学時代の同級生と結婚し、2000年には娘さんも誕生。
家庭と仕事を見事に両立させながら、一度は引退を発表するも2019年に復帰を果たすなど、最期まで声優としての情熱を持ち続けました。
2023年に膵臓がんと診断され、2025年8月13日に53歳という若さで亡くなりましたが、その功績は永遠に語り継がれることでしょう。
櫻井智さんが残した数々の作品と、アイドル声優としての先駆的な活動は、現在の声優業界の礎となっています。
美しさと実力を兼ね備え、家庭も大切にしながらプロとして輝き続けた彼女の生き方は、多くの人々に勇気と希望を与えてくれました。
心よりご冥福をお祈りいたします。