演歌界の重鎮として長年愛され続けている五木ひろしさん。
NHK紅白歌合戦50回連続出場という驚異的な記録を持つ彼ですが、プライベートについては謎に包まれた部分も多く、ファンの間では様々な噂が囁かれています。
特に子供の存在や実年齢、そして壮絶な生い立ちについては、真実が明らかになっていない部分も。
今回は、五木ひろしさんの家族構成から生い立ちまで、気になる真相を徹底的に調査いたします。
五木ひろしの子供に関する噂を徹底検証!
演歌界のレジェンド・五木ひろしさんの家族について、これまでメディアではあまり詳しく報じられてこなかったため、ファンの間では様々な憶測が飛び交っています。
「子供はいるのか」「何人いるのか」「職業は歌手なのか」といった疑問の声が多数寄せられている状況です。
また、インターネット上では「隠し子がいるのでは」という根拠のない噂も見受けられます。
今回は、信頼できる情報源をもとに、五木ひろしさんの子供に関する真実を明らかにしていきます。
五木ひろしに子供はいるのか?結婚歴から探る真実


五木ひろしさんは1989年5月に元女優の和由布子さんと結婚されており、その後3人の子供(男の子2人、女の子1人)をもうけています。
長男は2024年時点で35歳、次男は32歳、長女は29歳となっており、全員が成人して社会人として活躍中です。
長男は外資系音楽企業に勤務し、香港支社で歌手の育成などの仕事に携わった経験があります。
現在は結婚しており、お子さん(五木ひろしさんの初孫)もいるため、五木ひろしさんはおじいちゃんになっています。
次男は画家として活動し、長女はファッション関係の会社に勤務しているとのことです。
ネット上で囁かれる「隠し子説」の根拠と信憑性

インターネット上では時折「五木ひろしさんには隠し子がいるのでは」という憶測が見受けられますが、こうした噂については完全なデマであることが確認されています。
五木ひろしさんご本人も公の場で家族について語られており、妻の和由布子さんとの間に3人の子供がいることを明かしています。
また、2019年9月に開催されたイベント『歌手生活五十五周年「感謝の響宴」』で、長男の結婚と初孫の誕生を初めて公表された際も、隠し子に関する言及は一切ありませんでした。
五木ひろしさんは家族を大切にする方として知られており、子供たちとの関係も良好です。
根拠のない噂に惑わされることなく、正確な情報を把握することが重要でしょう。
五木ひろし本人の発言から読み取れる家族観

五木ひろしさんは「過保護なんですよ。子供をまったく叱れない父親です。自分が親にしてもらえなかったことを自分の子たちには全部やってきました」と語られており、子供たちへの深い愛情が伺えます。
学校の運動会や学芸会には必ず参加し、日本全国どこで歌っていても子供の学校行事には駆け付けるという徹底ぶりでした。
夜遅くまで仕事をしていても、翌日が運動会なら必ず東京に戻り、車中で仮眠をとってから参加されることもあったそうです。
2022年には「一生お嫁に行かせない」と思っていた末娘の結婚について「子育て卒業を感じる日々」と語られており、親として子供の成長を温かく見守る姿勢が印象的です。
五木ひろしの実年齢と壮絶な生い立ちの真相
五木ひろしさんの年齢や生い立ちについても、様々な情報が錯綜している状況があります。
公式プロフィールでは1948年3月14日生まれとされていますが、過去には年齢詐称説なども囁かれたことがありました。
また、幼少期の生い立ちについても、複雑な家庭環境で育ったことが知られていますが、その詳細については明らかになっていない部分も多いのが現状です。
ここでは、信頼できる資料や五木ひろしさん本人の発言をもとに、年齢と生い立ちの真実に迫っていきます。
五木ひろしの本当の年齢は?公表年齢との矛盾点

五木ひろしさんは1948年3月14日生まれで、2025年現在77歳となります。
公式プロフィールでもこの生年月日が一貫して記載されており、年齢詐称などの事実は確認されていません。
過去に一部で年齢詐称説が囁かれたのは、五木ひろしさんが非常に若々しい外見を保っていることや、常に人から見られる職業であることから普段から節制を心がけているためと考えられます。
実際、76歳という年齢を考えると、その若々しさは驚異的といえるでしょう。
芸能界では年齢を公表しない方も多い中、五木ひろしさんは一貫して正確な年齢を公表されており、その誠実な姿勢も多くのファンに愛される理由の一つとなっています。
貧困家庭で育った幼少期の苦労エピソード

五木ひろしさんは4人兄弟姉妹の末っ子として誕生し、幼稚園から小学校2年生までの3年間を三重県鳥羽市で過ごした後、福井県美浜町に移住されました。
しかし、小学5年生の時に父親が「ひと山当てる」として家を出て蒸発し、その後は母親が女手一つで4人の子供を育てるという厳しい環境で成長されました。
家には蓄音機があり音楽が常に流れていたものの、父親の失踪後は経済的に非常に困窮した状況となりました。
母親は働きづめで子供たちを育て、五木ひろしさんは「母を楽にしたくて歌手を目指した」と後に語られています。
このような逆境の中でも音楽への情熱を失わず、むしろ家族を支えたいという強い想いが歌手への道を切り開く原動力となったのです。
芸能界デビューまでの波乱万丈な青春時代


1963年3月に中学校を卒業した翌日、長姉を頼って単身京都へ移り、関西音楽学院に入学された五木ひろしさん。
1964年に「コロムビア全国歌謡コンクール」で優勝し、プロの道へ足を踏み入れました。
しかし、その後の道のりは決して平坦ではありませんでした。
「松山まさる」「一条英一」「三谷謙」など何度も芸名を変更しながら不遇の時代を過ごし、銀座の高級クラブで弾き語りをして生計を立てていた時期もありました。
1970年「全日本歌謡選手権」でグランドチャンピオンに輝き、翌1971年「五木ひろし」として「よこはま・たそがれ」を発表することで、ついに大ブレイクを果たします。
約7年間の下積み時代を経て、ようやく国民的歌手への階段を上り始めたのでした。
五木ひろしwikiプロフィール

プロフィール
- 本名: 松山数夫(まつやま かずお)
- 生年月日: 1948年3月14日
- 出身地: 京都府生まれ、福井県三方郡美浜町出身
- 身長: 173cm
- 血液型: A型
- 所属事務所: 株式会社五木プロモーション
- レコード会社: ファイブズ・エンタテインメント
- 配偶者: 和由布子(元女優)
経歴
- 1948年: 京都府で誕生、4人兄弟姉妹の末っ子
- 1963年: 中学校卒業後、京都の関西音楽学院に入学
- 1964年: コロムビア全国歌謡コンクールで優勝、歌手デビュー
- 1965年: 「松山まさる」名義で「新宿駅から/信濃路の果て」をリリース
- 1970年: 「全日本歌謡選手権」でグランドチャンピオン獲得
- 1971年: 「五木ひろし」として「よこはま・たそがれ」で大ヒット
- 1973年: 「夜空」で日本レコード大賞を初受賞
- 1989年: 元女優の和由布子さんと結婚
- 2007年: 紫綬褒章受章
- 2018年: 旭日小綬章受章
- 2021年: NHK紅白歌合戦50回連続出場記録で勇退
まとめ

今回の調査により、五木ひろしさんに関する様々な噂の真相が明らかになりました。
子供については3人(長男、次男、長女)がおり、全員が社会人として活躍中です。
巷で囁かれる「隠し子説」については根拠のないデマであることが確認されました。
年齢についても、1948年3月14日生まれの77歳(2025年現在)が正確な情報であり、年齢詐称などの事実はありません。
また、生い立ちについては、幼少期に父親が家出するという困難な環境で育ちながらも、母親への愛情と音楽への情熱を原動力に演歌界の頂点まで上り詰めた感動的なストーリーが浮かび上がりました。
五木ひろしさんは、家族を大切にし、誠実に音楽活動を続けてこられた真のアーティストであることが改めて確認できました。
これからも末永く、素晴らしい歌声で私たちを魅了し続けてくれることでしょう。