【画像】ビシエド選手の経歴・wiki・現在の状況|ネット上の噂を検証してみた

ダヤン・ビシエド選手は、キューバ出身のプロ野球選手として、日本球界で長年にわたって活躍してきた名選手です。

2016年から2024年まで中日ドラゴンズの主力として活躍し、2018年には首位打者と最多安打を獲得するなど、数々のタイトルを獲得してきました。

しかし、2024年オフに中日を退団し、現在は新天地でのプレーが注目されています。

本記事では、ビシエド選手の詳細な経歴からWikipediaの情報、そして2025年最新の現在の状況まで、ネット上で囁かれている噂も含めて徹底的に調査・検証していきます。

目次

ダヤン・ビシエドの野球経歴を振り返る

ダヤン・ビシエド選手は1989年3月10日、キューバ・ビジャ・クララ州レメディオスで生まれました。

彼の野球人生は、わずか15歳でキューバ国内リーグデビューを果たすという早熟ぶりから始まっています。

その後、19歳でキューバから亡命し、メジャーリーグでのキャリアを経て、日本球界で大きな成功を収めるまでの道のりは、まさに波乱万丈でした。

ここでは、彼の野球経歴を時系列で詳しく振り返っていきます。

メジャーリーグでのキャリアスタート

ビシエド選手は、2004-2005シーズンに15歳でキューバ国内リーグ「セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル」にデビューしました。

キューバ時代には同世代リーグで打率.405、5本塁打、18打点、14盗塁という圧倒的な成績を残していました。

2008年5月、19歳の時にいかだでキューバから亡命し、アメリカ合衆国のフロリダ半島に上陸。

同年12月にシカゴ・ホワイトソックスと4年総額1000万ドルの契約を結びました。

2010年にメジャーデビューを果たすと、2012年には147試合に出場し、打率.255、25本塁打、78打点という成績を残しました。

しかし、メジャーでの5年間は期待されたほどの成績を残せず、2015年に解雇されることとなりました。

中日ドラゴンズでの黄金期と成績

2016年から2024年まで中日ドラゴンズでプレーしたビシエド選手は、日本球界で真の実力を発揮しました。

特に2018年シーズンは彼のキャリアハイとなり、打率.348、178安打で首位打者と最多安打を獲得し、ベストナインにも選出されました。

2020年と2021年にはゴールデングラブ賞を受賞するなど、打撃だけでなく守備でも高い評価を受けています。

中日での9年間で1012安打、139本塁打、549打点という素晴らしい成績を残し、チームの主力選手として長年活躍しました。

愛称「エル・タンケ(戦車)」の名前通り、パワフルな打撃で多くのファンを魅了し続けました。

その他球団での活動歴

メジャーリーグ退団後の2015年、ビシエド選手は複数の球団を渡り歩いています。

トロント・ブルージェイズ、オークランド・アスレチックス、そして再びホワイトソックスとマイナー契約を結びましたが、いずれも短期間で契約を解除されました。

この期間は彼にとって試練の時期でしたが、翌年の中日入団につながる重要な時期でもありました。

中日退団後の2024年にはメキシカン・リーグのドスラレドス・オウルズでプレーし、38試合に出場し、打率.276、8本塁打をマークしています。

36歳という年齢を考慮すると、まだまだ現役として通用する実力を維持していることが伺えます。

現在は新たな挑戦の場として、日本球界復帰の可能性も報じられています。

ビシエドの現在の状況と最新情報

2024年シーズン限りで中日ドラゴンズを退団したビシエド選手の動向は、多くの野球ファンから注目を集めています。

退団後はメキシカン・リーグでのプレーを経て、2025年7月には驚きの日本球界復帰が報じられました。

36歳という年齢ながら、まだまだ現役として活躍できる実力を維持しているビシエド選手の現在の状況について、最新の情報を交えながら詳しく解説していきます。

現在の所属チームと活動状況

2025年7月7日(日本時間8日)、全米野球記者協会に所属するフランシス・ロメロ記者が、ビシエド選手がDeNAと契約に合意したと報じました

これにより、中日を退団してから9か月でのNPB復帰となる見込みです。

2023年に国内FA権の取得条件を満たし、2024年は日本選手扱いとなっていたため、外国人枠を消費しない貴重な戦力として期待されています。

DeNAでは一塁手として、タイラー・オースティン選手やマイク・フォード選手とポジションを争うことになると予想されます。

正式発表は今週中に行われる予定で、7月中旬にもチーム合流の可能性が高いとされています。

プライベートの近況報告

ビシエド選手の愛称は「エル・タンケ(El Tanque)」(スペイン語で「戦車」の意)で、これは元々シカゴ・ホワイトソックスの実況アナウンサーが丸々とした体形から名付けたものです。

家族構成は妻と子供3人で、中日時代の2018年からは家族も日本に呼び寄せて名古屋で一緒に暮らしていました。

子供の一人はドラゴンズベースボールアカデミーに入校するなど、日本の野球文化にも深く関わっています。

2019年には子供の都合で12月に帰国を延ばしたことにより、通常は外国人選手が参加することがない11月の球団納会やファンフェスタにも参加しました。

このエピソードからも、彼の家族思いで日本愛に溢れた人柄が伺えます。

ネット上で囁かれる噂の真相

ビシエド選手に関するネット上の噂で最も注目されているのは、DeNAとの契約合意についてです。

2025年7月7日(日本時間8日)、米記者の報道を皮切りに、横浜DeNAベイスターズがダヤン・ビシエド内野手と契約合意に至ったことが判明しました。

この報道により、Xでは「#ビシエド復帰」「#DeNA補強」で多くのコメントが飛び交っています。

また、中日時代の成績低迷についても様々な憶測が飛んでいましたが、2024年は2軍で打率.300、8本塁打という好成績を残しており、実力の衰えはないことが証明されています。

韓国球界からの関心も報じられていましたが、本人の希望としてはNPB復帰が最優先だったようです。

ダヤン・ビシエドwikiプロフィール

プロフィール

  • 本名: ダヤン・ビシエド・ペレス(Dayán Viciedo Pérez)

  • 生年月日: 1989年3月10日

  • 出身地: キューバ・ビジャ・クララ州レメディオス

  • 身長・体重: 185cm・108kg

  • 投打: 右投右打

  • ポジション: 内野手(一塁手)、外野手

  • 愛称: エル・タンケ(El Tanque)

  • 国籍: アメリカ合衆国(キューバから亡命)

経歴

キューバ時代(2004-2008)

  • 2004-2005シーズン:15歳でキューバ国内リーグ「セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル」デビュー

  • 2007-2008シーズンまで:ナランハス・デ・ビジャ・クララに所属

  • 2008年5月:いかだでキューバから亡命

メジャーリーグ時代(2008-2015)

  • 2008年12月:シカゴ・ホワイトソックスと4年総額1000万ドルで契約

  • 2010年:メジャーデビュー

  • 2012年:147試合出場、打率.255、25本塁打、78打点

  • 2015年:ホワイトソックスを解雇

中日ドラゴンズ時代(2016-2024)

  • 2016年:中日ドラゴンズ入団(背番号66)

  • 2018年:首位打者(打率.348)、最多安打(178本)、ベストナイン受賞

  • 2019年:ベストナイン受賞

  • 2020年・2021年:ゴールデングラブ賞受賞

  • 2023年:国内FA権取得、日本選手扱いに

  • 2024年:15試合出場後、シーズン終了と共に退団

現在(2025年)

  • 2025年5月:メキシカン・リーグのドスラレドス・オウルズと契約

  • 2025年7月:横浜DeNAベイスターズと契約合意(報道)

まとめ

ダヤン・ビシエド選手は、キューバから亡命してメジャーリーグを経て日本球界で大成功を収めた、まさに国際的な野球選手の象徴的存在です。

中日ドラゴンズでの9年間は、2018年の首位打者・最多安打獲得を筆頭に、数々のタイトルを獲得し、日本の野球ファンに深い印象を残しました。

2024年の退団後も現役続行への強い意欲を示し、メキシカン・リーグを経て2025年7月にはDeNAとの契約合意が報じられるなど、36歳になった今でも衰えない実力を証明しています。

彼の魅力は単なる打撃力だけでなく、家族を日本に呼び寄せて生活するほどの日本愛や、チームメイトとの絆を大切にする人柄にもあります。

ネット上では様々な噂が飛び交いましたが、事実に基づいて検証すると、彼が今なお第一線で活躍できる実力を持った選手であることが分かります。

DeNAでの新たな挑戦がどのような結果をもたらすのか、今後の活躍に大いに期待が持てるでしょう。

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